流鏑馬は騎射のひとつ。
流鏑馬は武士の鍛錬方法として行われた馬術と弓術を組み合わせた競技で鎌倉時代に盛んになり、しばしば神社に奉納されました。
神奈川県鎌倉市・鶴岡八幡宮の例大会に奉納される流鏑馬はその古い型を正しく伝えるものといわれます。
舞殿で神酒拝載式を行ったあと、弓袋差郎党を従えて三騎の射手が境内の馬場に入場します。
先導に神職・総奉行・馬場元来役・的立などが進み、鎌倉時代の鎧武者の行列となります。
行列が馬場を一巡すると総奉行の合図とともに一の射手が約250メートルの馬場を三つの板的を次々と鏑矢(かぶらや)で射ながら駆け抜けます。
明治23年(1890年)、トルコ国軍艦エルトゥール号が和歌山県串本大島沖で遭難沈没し、乗組員の九割近くの581名が死亡、生存者はわずか69名でした。
生存者はこの遭難に当たった大島村(当時)住民の献身的な救護活動の様子をトルコに伝えたことから、この事件は日本とトルコの友好関係の起点として記憶されることになりました。
大島村住民の献身的な救護活動とは、この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど献身的に生存者たちの救護に努めました。さらに、住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。
この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができたといわれています。
1995年(平成7年)の国連総会で「9月16日を国際オゾンデーとする」ことを決議しました。国際デーのひとつです。
1987年(昭和62年)、「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択され、1999年(平成11年)までにフロンガス等の消費量を半分にする方針が決定され、日本等24か国が議定書に調印しました。